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霊峰「白山」は修験道の聖地!神仏習合の女神を祀る加賀一之宮!

日本の神様と神社

森羅万象に神域を見出した古代の日本人にとって、「富士山」「大仙」「立山」などの秀峰は、神の宿る山として山岳信仰の対象でした。

「白山」もその秀峰のひとつです。白山は古くから信仰の対象として崇められ、密教の普及と神仏習合の発展により修験道の聖地となりました。

今回は、この白山信仰の中核である加賀一之宮「白山比咩神社」(しらやまひめじんじゃ)をご紹介してみたいと思います。

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白山信仰の中核である「白山比咩神社」とは

白山比咩神社
出展:金沢ラボ

白山は、北陸と中部地方にまたがる山塊の秀峰で、「御前峰」「大汝峰」「別山」などからなっています。白山は古くから信仰の対象として崇められてきました。密教の普及と神仏習合の発展によって、修験道の霊山となりました。現在においても、この白山に対する尊崇は「白山信仰として息づいています。

この白山信仰の中核となるのが「白山比咩神社」(しらやまひめじんじゃ)です。この神社は、石川県白山市三宮町の里宮を本宮としており、山頂の社(やしろ)を奥宮としています。

白山比咩神社の主祭神

重文 絹本著色白山三社神像
出展:白山比咩神社

上記画像の「絹本著色白山三社神像」の図には、中央女神の上に「十一面観音」、向かって右の男神の上に「大日如来」左の女神の上には「千手観音」の「種字」(しゅじ)が記されており、神仏習合の影響をうかがい知ることができます。

●「種字」(しゅじ) とは?
仏尊を象徴する文字のことを指します。

「白山比咩神社」(しらやまひめじんじゃ)の主祭神は「白山比咩大神」(しらやまひめのおおかみ)です。しかし、白山自体が御神体であるので、「白山比咩大神」は示現(じげん)と考えられています。また、「伊弉諾尊」(いざなぎのみこと)と「伊弉冉尊」(いざなみのみこと)も祭祀しています。

●示現(じげん)とは?
仏や菩薩 (ぼさつ) が衆生を救うために、さまざまな姿に身を変えてこの世に出現すること。

「白山比咩大神」(しらやまひめのおおかみ)は、記紀神話の中の「菊理媛命」(くくりひめのかみ)と同一視されています。「菊理媛命」の「くくる」は「括る(束ねる)」にもつながるので、現在では「縁結び」や「和合」 の神として信仰されています。

「白山比咩神」(しらやまひめのおおかみ)は神仏習合のなかでは、「白山大権現」「白山妙理権現」または「白山妙理菩薩」とされ、本地仏は十一面観音とされていました。

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白山比咩神社の奥宮

白山頂上の奥宮
出展:白山比咩神社

白山山頂にある奥宮への登山ルートは、石川県白山市白峰から別当出合登山口まで行き、
そこから登るのが一般的です。

標高2450mの「室堂」には、奥宮登拝の拠点となる白山比咩神社の「祈祷殿」(きとうでん)や、一般登山者のための宿泊施設が整っています。

「御前峰」(ごぜんがみね)山頂付近に鎮まる奥宮は、養老2年(718)に創建されたとされています。現在の「一間社流造り」の檜造り社殿は、昭和63年に再建されたものです。

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「奥宮」へは、室堂から約40分の道のりです。

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白山の開山は僧侶の泰澄(たいちょう)

国宝 泰澄座像
出展:福井の文化財

白山比咩神社は、北陸の代表である霊峰の白山をご神体として、地元では古くから「しらやまさん」と親しまれてきました。 白山比咩神社は「加賀一之宮」として、古くから篤い崇敬を受けてきた歴史のある神社です。

白山の開山は、仏教の僧侶である「泰澄」(たいちょう)です。
「泰澄」は現在でいう福井県の人で、十四歳のときに十一面観音の霊夢を見てから、独自の修行を重ね「空中飛翔 などの「験力」(げんりき)を示したと言われております。

●「験力」(げんりき)とは?
霊験(神仏の不思議で測り知れない力)をあらわしうる能力。祈りに対して現れる御利益。

「泰澄」は、717年(養老元年)に白山の初登頂に成功します。そして翌年に、山頂に奥宮を祀ったとされています。「泰澄」が白山を開山したことで、従来からあった山岳信仰と仏教が結び付き、のちに修験道として統合されていきます。

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白山登拝の拠点「馬場」(ばんば)と禅定道

霊峰 白山
出展:山比咩神社

密教の伝播(でんぱ)によって、が盛んになっていき、白山は霊峰として多くの修行僧が集まるようになります。これによって、修行登山路は「禅定道」(ぜんじょうどう)として発展していくことになります。

●「禅定道」(ぜんじょうどう)とは?
山頂に登ぼるまでの山道の事を言います。「禅定道」の起点は修行の起点でもあり、その場所を馬場(ばんば)と呼びます。

三馬場と禅定道

三馬場

「泰澄」(たいちょう)が白山を開山した後の天長9年(832)に、加賀、越前、美濃に登拝の拠点となる「馬場」が開かれました。

「馬場」(ばんば)という呼び方は、白山へ登るとき馬でそこまで行って、繋ぎとめておいた場所だったからです。また、馬がそれ以上進めない神域への入口だから、そう呼ばれたという説もあります。

三馬場とは、「加賀馬場」「越前馬場」「美濃馬場」 のことを言います。

この三馬場は、多くの修験者でにぎわいを見せ、しだいに寺社としての性格を帯びていくようになります。

「加賀馬場」(石川県)の中心が現在の「白山比咩神社」(しらやまひめじんじゃ)で、「越前馬場」(福井県)は現在の「平泉寺白山神社」(へいせんじはくさんじんじゃ)、そして、「美濃馬場」(岐阜県)が現在の「長滝白山神社」(ながたきはくさんじんじゃ)です。

こうして馬場から霊峰である白山を目指して、多くの人々が「馬場から」登拝(信仰として山をのぼること)しました。

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日本中に広まった白山信仰

岐阜県 白山中居神社の春季例大祭
出展:白山龍鳴会

白山信仰の神社は、全国にたくさんあります。白山信仰の神社の数が最も多いのが、岐阜県、福井県、石川県で、その次は、東北から北陸にかけての地域で、日本海に面している新潟県、富山県、山形県などに、この白山信仰の神社が多く見られます。また愛知県にも多く見られます。

白山信仰を担ったのは、武家では鎌倉時代の「源頼朝」や、江戸時代においては加賀藩「前田家」が有名です。

また、海で働く人も白山を篤く信仰しました。この理由としては、白山が沿岸航海をする際の目印になったと言われております。一方で、白山は漁場の位置を確認するための指標ともなったそうです。古い時代においては、遠くからも望見できる白山は、海で働く人々にとって「航海の神」であり「漁業の神」であったのです。

白山の御神徳による白山信仰の拡大

白山の御神徳は、太平洋岸の人々にも慕われ、白山神社はさかんに「勧請」(かんじょう)されて、漁業や沿岸物流の拠点に建てられました。

●「勧請」(かんじょう)とは?
仏神の霊や像を寺社に新たに迎えて奉安することを指します。

白山は、万年雪をいだいており、豊富な水の供給源でもありました。水は飲料のみならず、農耕にも欠かせないものであり、農民たちは白山を「水の神」として信仰し、各地に白山神社が「勧請」されることになります。

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白山信仰の拡大に寄与した芸能民

岐阜県 能郷白山神社の能面
出展:岐阜県公式㏋

白山信仰が拡大していった背景のひとつに、芸能民の存在があります。先に述べた「三馬場」には、数多くの「猿楽面」や「能面」が残されています。

「猿楽」というのは、滑稽(こっけい)を主とした民間芸能のひとつで、奈良時代に唐の国から伝来したものです。平安時代になると、これに日本的な要素が加わり「田楽」とともに宮廷や庶民の間で流行することになります。南北朝から室町時代には、「座」が組織されるようになります。

「能」は、「猿楽」に劇の要素を加えたもので、のちに「猿額能」へと発展していきます。なお、「世阿弥元清」によって、南北朝時代に「能楽」として大成することになります。

白山信仰の文化圏においては、南北朝時代には芸能集団の存在があったとされています。芸能民は、各地を遍歴して芸能を披露することを仕事としていました。これらの芸能民は、白山信仰が拡大するうえで、忘れてはならない存在です。

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