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祇園祭とは何か?夏の京都を彩る風物詩のルーツである神事と神様!

神社のお祭り

京都の祇園祭は、毎年7月1日~7月31日までの期間で行われています。
祇園祭は、夏の京都を彩る風物詩となっていますが、祇園祭とは何か、また、そのルーツはどういうものなのでしょうか?

祇園祭は昔から「災厄除け」「災厄鎮め」の祇園信仰にもとずく神事なのです。祇園祭のルーツを知ると、もっとお祭りが楽しめるのではないでしょうか。

今回は、日本でも有数の夏祭りである「祇園祭」のルーツとその意味などについて、簡単にわかりやすく解説してみたいと思います。

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祇園祭のルーツは「災厄鎮め」の神事!

昔の日本人は、「怨念を抱いた死者の御霊は、怨霊となる」と考えていました。自然の災害や疫病は、「怨霊」の祟り(たたり)であると信じていました。天変地異は、すべて御霊の仕業と考えられ、御霊に対する信仰が出来上がったとされています。

このため、災いが起こると「御霊会」(ごりょうえ)という神事を行って、過去に怨念をいだいて亡くなった人の御霊を鎮めて終息を願ったそうです。

この「御霊会」(ごりょうえ)という神事は、いろいろな節目に行われるようになり、祇園では、平安時代のはじめである貞観十一年に、京の都をはじめ日本各地に疫病が流行したとき、 勅命(天皇の命令)によって「御霊会」が行われました。平安京の広大な庭園であった神泉苑に、当時の国の数66ヶ国にちなんで66本の鉾を立て、祇園の神を祀り、さらに神輿を送って、災厄の除去を祈ったことにはじまります。 これが「祇園御霊会」の始まりであるとされています。

これが、現在でも盛大に行われている「祇園祭」のルーツなのです。

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祇園祭とは

祇園祭 山鉾巡行
出展:KEIHAN

京都祇園祭(ぎおんまつり)は八坂神社の祭礼で、明治までは「祇園御霊会」(ぎおんごりょうえ)と呼ばれていました。

祭行事は「八坂神社」が主催するものと、「山鉾町」が主催するものに大別されます。
一般的には「山鉾町」が主催する行事が「祇園祭」と認識されることが多く、その中の「山鉾行事」のみが重要無形民俗文化財に指定されています。

祭り行事のハイライトとである「山鉾行事」は、山鉾が設置される時期によって前祭(さきのまつり)と、後祭(あとのまつり)に分けられています。

山鉾行事は「宵山」(よいやま、前夜祭の意)に行われます。前祭(さきまつり)は7月14日~16日に、各山鉾町にて山鉾を飾り、祇園囃子を奏でます。

後祭(あとまつり)は7月21日~23日に行われます。内容は前祭と同じです。

「山鉾巡行」の前祭は7月17日で後祭は7月24日となっています。「長刀鉾」を先頭に前祭の鉾九基と山十四基が各町を出発し祇園囃子も賑やかに所定のコースを巡行します。

また、八坂神社主催の神事は 「神輿渡御」(神幸:7月17日・還幸:7月24日)や「神輿洗」(7月10日・7月28日)などが有名で、「花傘連合会」が主催する花傘巡行(7月24日)も八坂神社側の行事となっています。

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祇園祭りは祇園の地に鎮座する八坂神社の神事

八坂神社 西楼門
出展:八坂神社

祇園祭は、祇園の地に鎮座する八坂神社の一大神事です。八坂神社は祇園信仰の総本社で、四条通の突き当りにある「朱塗りの西楼門」が象徴となっています。

現在は八坂神社という名前ですが、明治時代以前は「祇園社」もしくは「祇園感人院」(ぎおんかんじんいん)と言われていました。

「祇園」というのは、釈迦が説法を行った「祇園精舎」(ぎおんしょうじゃ)に由来すると言われております。祇園の守護神とされた神は、古代インドの荒ぶる神である「牛頭天王」(ごずてんのう)です。

仏教が日本に伝来することによって、仏教と神道が融合する神仏習合がおきることになります。この神仏習合によって、記紀神話の荒ぶる神である「素戔嗚尊」(すさのおのみこと)と習合し、絶大なるご神威で災厄を抑える「祇園神」(ぎおんのかみ)となるのです。

これが祇園信仰です。

祇園信仰とは

素戔嗚尊

祇園信仰(ぎおんしんこう)は、「牛頭天王」「素戔嗚尊」に対する神仏習合の信仰です。
明治以降は神仏が分離され、「素戔嗚尊」を祭神とする神道の信仰となっています。

「牛頭天王」は元々、仏教的な陰陽道の神で、一般的には祇園精舎の守護神とされています。

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八坂神社の祇園神の神仏習合

祇園神は、中国あるいは朝鮮の神とも言われている「武塔神」(むとうしん)とさらに習合することになります。

● 武塔神とは?
「武塔神」(むとうしん)とは、疫病などの災厄に見舞われ続けた古代の人々が、既往の信仰や伝説と結びつけながら信仰の対象として育成した神格のことを指します。

祇園神は別名「素戔嗚尊」「武塔伸」「牛頭天王」と言います。神仏が習合した神様で、御神徳は、「病気平癒」「厄災除去」です。また、祇園神をお祀りする神社は、「八坂神社」「津島神社」「祇園神社」です。

武塔神にまつわる伝承である「蘇民将来」とは

●蘇民将来(そみんしょうらい)とは
日本各地に伝わる説話であり、民間信仰です。現在においても「蘇民将来」と記した護符は、日本各地の「国津神」系の神(主に、すさのおのみこと)を祀る神社で授与されております。災厄を払い、疫病を除いて、福を招く神として信仰されています。

●「国津神」(くにつかみ)とは
日本神話に登場する神の分類で、大国主など「天孫降臨」以前から、日本の国土を治めていたとされる土着の神(地神)のことを指します。

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自分を冷遇した富裕な弟の「巨丹将来」(こたんしょうらい)一族を滅ぼした「武塔神」が、自分を厚遇してくれた貧しい兄である「蘇民将来」(そみんしょうらい)には、自分は「素戔嗚尊」であると正体を明かし、兄の「蘇民将来」と、その娘らの腰に茅の輪をつけさせ「我は蘇民将来の子孫」と言えば、疫病から逃れられると言って立ち去ったというものです。

八坂神社の茅の輪くぐり

蘇民将来の伝説に基づいて、八坂神社」では祇園祭の最終日に「蘇民将来」を祀る摂社の「疫神社」において、「茅の輪くぐり」が実施されています。

蘇民将来の信仰はいつから始まったのか?

蘇民将来 門符

蘇民将来についての説話は、「備後国風土記」に収められています。備後地方(現在の広島県)には、古くから八坂神社の社領があり、このため備後における伝承が全国に拡大していったものと考えられています。

蘇民将来への信仰は、日本各地において見られます。例えば、岩手県水沢市の「黒石寺」では、「蘇民祭」が行われています。また、三重県伊勢市二見町には、玄関の注連飾りに「蘇民将来子孫家門」の木札をかける風習が残っています。

素問将来への信仰は、今まで鎌倉期に成立していたものと考えられていましたが、平成13年に「蘇民将来之子孫者」という木札が発見され、八世紀後半には、この蘇民将来への信仰が始まっていたことが証明されています。

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